Tau Micrya
Ridill [Gaia]
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…が私の2024年ジャパンカップの率直な感想です。
ここで愚痴×2とお話すると折角見ていただいた方の気分を害することになるのは
確実なので忘れることにしてw
ウマ娘のマイチーム中距離担当は1984年11月25日に開催された第四回ジャパンカップに出走した馬で揃えています。
この年のジャパンカップは前年の三冠馬ミスターシービーと本年の三冠馬シンボリルドルフが出走するとあって
「初めて日本調教馬が勝てるんじゃないか?」
「ミスターシービーとシンボリルドルフのどっちが早いんだ?」
という前評判でしたが大逃げをかましたカツラギエースの粘り勝ちという結果w
カツラギエースは
「初めてジャパンカップで優勝した日本馬」
であると同時に
「初めてシンボリルドルフを負かした馬」
として競馬史に名前を残すことになるのですが、そこは機会があれば詳しくお話したいので置いといて…
その前年、第三回ジャパンカップにおいて競争生命を賭けて日本馬の未来を照らしたある馬のお話。
最後の天皇賞馬
キョウエイプロミスは北海道浦河町にある三好牧場に生まれます。
父は1964年の2000ギニーステークス(日本でいえば皐月賞)を勝ったボールドリック
母はチヨダクイン
母父は今でも血統表に名を残すネヴァービート(イクイノックスの父母父父母父w)
家族経営の小さな牧場には相当気合の入った良血だと思うのですが如何でしょうか?
二歳の6月にデビューしましたが勝ち上がるまで4戦して春のクラシックには間に合わず、菊花賞に出走すべく函館記念に挑戦しますが脚部不安を発症し約一年の休養に入ります。
翌年夏の北海道シリーズで復帰するも成績は今一つ…
ですが、ステイヤーズステークス2着と好走してステイヤー(長距離馬)として可能性を見出します。
翌春は条件戦を勝つとダイヤモンドステークスで初重賞勝利。
秋には毎日王冠で勝利するものの当時は府中3200mだった天皇賞(秋)は激走したメジロティターンの7着に敗れてしまいました。
しかし年末の有馬記念では13番人気を覆して3着入賞。したのですが…再び脚部不安で一年弱の休養に入ってしまいます(涙)
そして翌秋の天皇賞(秋)来年から2000mに短縮されてしまう最後の府中3200mで優勝!
次走は天皇賞馬の大看板を掲げて第三回ジャパンカップに向かいます。
1983年秋の競馬界
キョウエイプロミスが怪我をようやく克服し天皇賞馬となったその年…
クラシックレースではあるスターホースが誕生していました。
その名は「ミスターシービー」
シンザン以来19年ぶりで且つ初の内国産のクラシック三冠馬で、その破天荒で圧倒的な実力と誕生のドラマ性で競馬ファンを魅了していましたが菊花賞の激走の後、元々弱かった蹄の具合が悪かったこともあり「翌年春まで全休」と公表されていました。
当然国内はもとより海外メディアからもミスターシービーのジャパンカップ回避に批判が殺到します。
ジャパンカップは第一回・二回共に日本馬は惨敗…
「向こう10年は海外馬の影すら踏めない」
と当時は国内馬と海外馬の実力差は圧倒的開きがあると言われていました。
キョウエイプロミスを管理した高松邦男調教師は
「天皇賞馬やグランプリホースでは相手にならないだろ?なぜ日本の最強候補の三冠馬が出走しないんだ!」
と海外の記者に詰め寄られると、
「ですから、キョウエイプロミスが(日本の代表として)あなた方の馬のお相手をするわけです。」
胸を張って答え、主戦の柴田政人騎手も
「パーフェクトな状態。堂々と勝ちに行きます!」
と海外馬と互角の勝負ができることを宣言。
しかし高松調教師は元々弱かった脚がこのジャパンカップで故障し最後のレースになってしまうのでは…と思っていたそうです。
「プロミス!、プロミス!」
そしてレースは大逃げをかましたハギノカムイオーが3コーナーで玉砕。
好位から4コーナーで進出したアンバーシャダイは直線を向くと脚が止まってしまう中
キョウエイプロミスは馬群中央をじわじわと伸びてきます。
いよいよキョウエイプロミスが先頭か!!!とその時、
抜群の切れ味で後方から前年英国最優秀牝馬に選ばれたスタネーラが追い上げてきました。
譲らずキョウエイプロミスは食らいつく、ゴールまで残り200m…
スタネーラとキョウエイプロミスの壮絶なたたき合いに、フジテレビ解説の大川慶次郎氏は興奮しゴール前100mに入ると「プロミス!プロミス!」とひたすら連呼する激戦に、
ですが正にこの時、キョウエイプロミスは右前脚繋靱帯不全断裂を発症、スタネーラに頭差許し二着に惜敗。
最早歩いて帰ることも叶わず馬運車で退場し、その後競争能力喪失と診断され引退となりました。
しかし彼の競争生命を賭した全力の走りは「海外馬には勝てない…」と半ば諦めていた日本の競馬関係者に
「やればできる」
と自信を取り戻させ、今日の海外遠征やジャパンカップにおける日本馬の活躍の魁となりました。
引退後
キョウエイプロミスはその後、この年の天皇賞(秋)とジャパンカップの活躍が認められ1983年優駿賞最優秀5歳以上牡馬を受賞し翌年から種牡馬となりましたが自身が晩成のステイヤーだったこともあり目立った産駒を出せないまま1994年に種牡馬引退。
丁度、競馬が長距離から中距離に移行していた時期というのも影響があったと思います。
その後功労馬としてのんびりと余生を過ごし海外G1を制したシーキングザパールやタイキシャトル・ステイゴールドの活躍をを見届けて2003年に『世界に手をかけた勇士』は息を引き取りました。
そして余談になりますがキョウエイプロミスを管理した高松邦男調教師と主戦を務めた柴田政人騎手は学年違いの同い年。
共に先代、高松三太調教師の息子と弟子であり兄弟の様に育てられたそうです。
騎手が厩舎に所属するのが一般的だった時代、二人は文字どうりの二人三脚「黄金タッグ」として混迷期の日本競馬の一頁を飾っているのです。