「喫茶去」
(きっさこ)
まぁお茶でもどうぞ、という意味だとか。
唐時代の趙州従諗禅師の話が元になった禅語です。
師は訪れた僧二人に「前にここに来たことがあるのか?」と尋ねました。
「来たことがない」
「来たことがある」
どちらに対しても「喫茶去」と師はお茶をすすめました。
それを見ていた院生が「どちらにも同じようにお茶をすすめられたのはなぜでしょう?」と尋ねました。
師は「喫茶去」と院生にお茶をすすめました。
このお話を、かの人より聞いたとき。
「この言葉はガマの中でどんどん成長していくだろう、覚えておくといいよ」と。
当時はだれに対しても同じ態度で、くらいに思っていました。
この数日。
様々なことがありました。
そんな時、この言葉を思い出しました。
・私の無知を教えていただきました。
使い慣れているようなものでも、そうではないこと。
まだまだ知らないことがあること。
それはシステムも人も同じ。
大事にしてくれているからこそ、知らなければならないことがありました。
・一年ぶりに連絡をくれた方がおりました。
ご家族のアクシデントに奮闘しておられました。
連絡がつかない可能性もありました。
少しでも頼りにされることが、喜びであることを思い出しました。
・事故にあわれた方がおりました。
なんともない、とのお答えに安堵しました。
無事であられて、良かったと思えながら、恐ろしくもありました。
一生の後悔と安寧は紙一重であることを思い出しました。
・新しく知り合えた方がおりました。
FCで、CWLSで、日記で、知り合えた方がおりました。
一緒に楽しく過ごせるだろうかと不安になりながら。
それ以上に、訪れるであろう一緒の時間が楽しみになりました。
そのすべてに。
今、言葉を選ぶなら・・・喫茶去を選びます。
どれもが当たり前に起こることではなく。
どれもが奇跡であることを思い出しました。
画面にいつも見るお名前が出た時に、愛おしく思いました。
画面に新しく見るお名前が出た時に、期待が膨らみました。
日常が在ることが当たり前になっていた自分を恥じました。
それを明日を前にして、言葉に出来たことに感謝しました。
喫茶去。
当たり前に感じるすべてのことが奇跡と捉えられるからこそ、
言葉に出来るもの、なのかもしれません。
デイリーでもまわりませんか?
とある雰囲気のいいお店。
ミコッテ嬢「いいお話ね」
ガマ「…出会いと日常は奇跡の集まりなんだと思いだしたよ」
ミコッテ嬢「うん」
ガマ「…君との出会いはもっと特別な気がするんだ」
ミコッテ嬢「うん、ガマさんは特別!太客だもん」
ガマ「…うん」