人類
一括りにしてしまえはたった一種の生物である。
生物学的に言えば、極東の島国にいる黄色い連中だろうと大陸西方に多めの白い連中もアフリカにお住いの黒い皆様もすべて同種である。
だがこいつらには困ったことに文化というものがある。
この文化というやつはそれぞれの地域に根差した歴史であり宗教であり生活様式である。
遺伝子的には対して差がない連中なのだが、この文化の違いからくる価値観の違いは時に大きな戦争やら差別を生み出す。
困ったことである。
欧米の連中が、日本のイルカやらクジラ漁に文句言ってくるのもこれだろう。
曰く野蛮である。
頭のいいイルカやクジラを殺すなんて間違ってる。
お前らあんな可愛い生き物殺して食うとか残酷すぎる。
これは一面で言えば確かにそのとうりである。
他に食えるものあるのにあえてこれらを殺す道理はないって言うのが彼らの主張の骨子と思われる。
だが、過去においてクジラの体内にある油欲しさに大量虐殺してたのは彼らである。
日本では漁したクジラは骨、皮、肉、ひいては髭まで余すことなく利用していたが彼らはそんなことをせずに効率よく油をとることに傾注してたそうである。
石油のおかげで鯨油に頼る必要がなくなりお金儲けにつながらなくなったら愛護精神に目覚めるとかホント迷惑な話である。
捕え殺したものに対して、最大限の敬意と感謝があれば自然と日本やイヌイットの人のように、全てを活用する様式になるものである。
そこに至ることのできなかった連中の愛護主張はどうしても薄っぺらく感じてしまうのは私だけだろうか?
だいたい残酷だというならスペインの闘牛とかどうなるんだ?
牛は日本での農耕の友であった頃の記述やらお話を聞く限り相当頭のいい動物である。
ちゃんと家の人間も区別もするし、人に良くなつく。
それこそクジラと比べてそれほど頭が悪いとか思えない。
それを闘技場に引っ張り出して、大衆が見てる前で剣をどんどん突き立てて惨殺する様は野蛮で残酷ではないのか?
とまあこんな感じであるのだが、自分としては別に闘牛が間違ってるとか、フォアグラの作り方とか拷問そのものじゃねえか、そっちはいいのかよとか思っても否定はしない。
なぜなら、これらはその国々やら地域に根付く文化だから。
残酷に見える娯楽にも歴史的な理由があったり、伝統的に守られてきた儀式であったりすることもあると思うからだ。
食文化についていえば、もっといろいろあるだろう。
とある国では神聖で食ってはいけない動物もいるだろうし、とある国では愛玩対象の動物を別の国では食べる文化もあるだろう。
ここで可愛いから可哀そうだから宗教的に許せないって理由で、その食文化を否定する行為は、異文化によるエゴでしかないと思うのだ。
だってそうだろう。
どんな生き物だろうと死にたくないし食われたくはない。
だがそれをしないと生きられないから人は殺して食べる。
そこに、他文化を否定して自分の文化を押し付けるのはおかしいのだ。
その否定している行為と、自分の文化が行っている行為に対して差はない。
同じだ、殺して食ってる。
あそうそう、菜食主義者だからと言ってこの罪からは逃げることはかなわない。
植物だって生きてるのだ、子孫を増やすためやら日々成長するために光合成に励んでるのである。
動物だろうと植物だろうと細胞レベルで見れば対して差はないしな。
ただ問題は、人間という増えすぎた生き物のがより安定して食い続けていくために捕りすぎて資源が枯渇するようではいけない。
ただこの一点については協力し合い取りすぎないように自然回復量以上の搾取をしないようにしていかないとだろう。
相手に食うなと言えるのはそれ以上食うともう二度と食えなくなるよってときだけだと私は思う。
それによって結局全体が飢えて死ぬのは愚かすぎるからだ。
異文化の否定の根拠の背景には自身の文化の方がその文化より進んでいる優れているといった、根拠のない自信があるように思われる。
人類は繁栄した。
地球のありとあらゆるところに存在している。
だからこそ、それぞれの地域に即した文化も発生している。
それを一概に否定はできないはずだ、なんでそんな文化になってるのかよく理解したうえで否定するなら否定するべきだと思う。
そのうえでやっぱりこの習慣はマズイってのはやめるよう訴えかけるべきだと思う。
宗教儀式で、子供の健康と健やかな成長を祈る儀式の結果、感染症がはびこる原因になってるとかだったらさすがにやめさせたいし。
文化がが違うってことを理解して、感情のみで相手文化を否定するようなことはしないでほしいものである。
感情ではなく理性を持って事に当たってほしいと、強く思う出来事がったのでついこんなことを書いちまったなあ・・・・。