Personnage
『寒夜のこと』から考える、ゲームを楽しむ・没入するという事【評論】
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2022/1/11公開
1/18追記
11/8追記
この記事にはパッチ6.0「暁月のフィナーレ」に関するネタバレが含まれます。どうぞ物語を終えてからお読みください。
では行ってみましょう!
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といったところで今回の日記はおしまい。
書きかけの暁月の感想記事とか、暁月前に書いた予想の答え合わせとか、自キャラ設定とか
日記に書きたい内容が脳内には色々出てきているんだけど、なかなか筆が進まない今日この頃…。
ツイッター
@ystmfojwne
それではみなさん良い冒険をノシ他にもいろいろ予想・考察記事を書いております。よろしければ是非お読みください。
https://jp.finalfantasyxiv.com/lodestone/character/2053456/blog/
Ce personnage a été effacé.
風脈空けるの手伝ってください
「臭いモノに蓋をする」や「見て見ぬふり」という風習がスタンダード化して、
負の要素との接点が減ってきている、と感じる近頃。
善いも悪いも知ってるから、善い方を選ぶ。
そんな「判断力」が持ちにくくなってるのかなぁ・・・と勝手な想像
あのクエストは、私的には良い作りだったかなと思ってます(あくまで個人の感想
たしかにメンドくさいし、弱っ!!って感じましたねw
でも、それが一般的な人間の能力であり、ヒカセンは強かったんだ!
を、改めて感じる事ができましたね。
戦うではなく、避けるという立ち回りも、なんか新鮮でしたし
それから、ゼノスに対するヘイトもUPです。
見事にクリエイター達の手の平で踊らされましたね~
喜怒哀楽を、上手に揺さぶってくる開発に拍手です。
最後に「あっ、この人(FF?吉P?の)テンパードだ」との感想
えっ、私?もちろんテンパードですよ。
色々考えたけど、やっぱり私とは違う意見です。
確かにこのクエストは戦闘面では難しくてめんどくさいけど面白い仕様だったし、イベント内容もシリアスだけど胸が熱くなるような展開になっていたと思います。
ですが、ある程度の耐性がないと、このクエストを進めることもできないと思います。
ムカつく、でも興奮する!とか薄い本が厚くなるな!とかの感想もありますが、私はそんなNTR耐性はありませんので。
自分の大切なキャラ、愛着があるキャラ、むしろ自分自身、それがただの「没入感」のために第三者にコントロールを奪われるのはやっぱり許されない。
余談ですが、「究極の没入感」を持つゲーム(のようなもの)はすでに存在しています。
「メタバース」、いわゆるバーチャル空間でのコミュニケーションです。
過去にはセカンドライフ、現在ではVRチャットやバーチャルキャストといったVRSNSがあります。
「サマーウォーズ」や「竜とそばかすの姫」のようなものと思ってもらっていいです。
そこでは、一人一人が自分自身の皮(アバター)を身にまとい、自分の手足のように動かしています。
人によりますが、触れられたら感覚があり、熱い場所にいけば汗がでてくる人もいます。
バーチャルの世界であっても、ちゃんとリアルとして生活しているんです。
もしそこの住民が、いきなり身体を別のアバターに変えられて、元の自分のアバターに誰かが入って勝手に動かされたら…
いったい、どうなってしまうんでしょうね。
個人的に好きなイベントなので、コメント失礼します。
ラジオだったかでPが補足していたように通常はヒカセン達に守られる側に立ってのロールプレイ中は「何としてでも生きたい」という感情が込み上げ、一兵卒のスキルを必死で回しましたし、ポーションも惜しみなく飲みまくり本当の意味で没入感のあったイベントでした。中ボスのBGMも相まって緊張感もありましたしね。
面倒くさい!って意見も多いと思いますが
制作は上記を考えた上での難易度調整だったのかなぁと。自分を投影してきたプレイヤーだからこそ、カラダを乗っ取られるのに嫌悪感があるのかもしれませんが(自分はそれがあってのラスト選択肢だったのかなと思います)…。
批判的な意見はあること承知ですが、ちょっと前の某映画では入れ替わってる〜〜〜!?ってシーンでお前ら喜んでたやんけ!と思ってしまう(´ω`)
長文、失礼しました。
あっでも、一番緊張というかハラハラしたのは、ゾウさんと赤ちゃんのところでした。笑
つまるところ、ギャップなのかな?
仕事から帰ってきたらめっちゃコメントといいねもらってるー!
ひとまず、反応をいただいた皆さん、読んでくださった皆さんありがとうございます。
じむさん
ここまで来たら逆に縛りプレイでどうや?w
Genmu Linsletさん
コメントありがとうございます!
なるほど「判断力」ですか。私を含めですが、たしかに今の時代、分からなければすぐネットで検索となってしまいがちですからね。自分で考える・判断するという行動自体が稀有なものになりつつあるのかもしれません。
私も大興奮のクエストでした!14のゲーム中にあれほどポーションが頼もしく思った事は無いかもしれないwwいやー、ここの開発はほんとけしからんですね!
テンパードと言うなとはいったが、テンパードでないとは言ってないw
「アア、ハイデリンサマー(遠い目)アア、ヨシダサマー(逝った目)」
Rino Lilioさん
コメントありがとうございます!私には無い素晴らしい意見だと思います!
そんな薄い本の話にまでなっているのですね・・・。それは、私もちょっと・・・w
お互いの「思った事」について色々言っても「思ったという事実」は変わりませんのでそれはそれとして、いただいたコメントを読んで一つ考えた事があるので、それをお話したいと思います。
これは「私自身の特性・問題点」でもあるのですが、本文であれだけ没入感と言っておいて、私自身ゲームや映画の話に没入するというのはとても下手です。現実世界の要因など、お話の外側にも頭が行ってしまう、よく言えば俯瞰的に見ているからだと自分で認識しています。
だからお話で泣いたりすることはかなり少ない。配信などですごく感情移入して泣いている人を見ると「ここまで入り込めてすごい」という思いと同時に、私自身がおかしいんじゃないかという疑念が少なからず沸いたりしますw
だからRinoさんの「第三者にコントロールを奪われるのはやっぱり許されない」というコメントを見て、Rinoさんはお話に入り込むのがとてもうまい。
つぎのコメントへ続きます
上手いからこそ、ゲーム側で没入感を高く設定されると(特に負の感情の没入感は)大きな拒絶になるのではないか。
私は没入が下手だから、それがRinoさんのいう「ある程度の耐性」として機能したのではないか。
受け手に個体差というものがある、という事を私自身わかったつもりになっただけで、理解しきれていなかったなあと、そんな風に思いました。
Rinoさんの言いたいことと全然違うかもしれませんが、いただいたコメントを読んでの私の感想でしたw
VRSNSなんてものがあるんですね。私自身はSNSはツイッターとかで止まってしまっているので…。サマーウォーズのあれ、ってのがめちゃめちゃわかりやすいですw
触覚や熱を感じるなんてすごい没入感ですが、逆に怖さも感じます。
Rinoさんのおっしゃった、アバターの乗っ取り問題ですが、お聞きして「攻殻機動隊」の一期の第一話が鮮明に思い浮かびました。アバターではないですが、脳の詰め替えによる存在の偽装と犯罪という感じです。良かったら見てみてください。
ゼノスの体乗っ取りからこんな話につながるとは!私が知らない、考えつかないご意見・情報をありがとうございました!
ククルさん
コメントありがとう!
ほんとポーション頼もしかったよねw
おれ的には「絶対ゼノスに暁の仲間を殺させねー!」って感じでした!
アリゼーとグラハの前にゼノスが立った時はめちゃはらはらしたし、グラハが見破ったときはマジで頼もしかった。
たしかに「入れ替わってるー!?」は大好評だったwwwwww
でもだとすると、傍観者として見ているだけで済むのか、入れ替わりの対象が自分自身(自分の分身)であるか、そこが人間にとっての拒絶感のトリガーだったりするのかも!って考えました。
マトシャのところはねー!すごくハラハラした!
個人的に後々考えたら、ラザハンの広場での「子供の獣化→即踏みつぶし」と「最初に獣化した孫を心配するおばあちゃん→オバアチャンってセリフを残す雑魚獣」って2ステップが結構利いていて、3ステップ目のあのシーンがより切羽詰まったものになったのでは?なんて思いました。
そして駆けつけたニャンとヴリトラのかっこよさと安心感と言ったらもう!
とても興味深く拝読しました。
受け手側のリテラシーを考えるのに、多くのヒントがあると思います。
僕は基本的に、快も不快も込みでエンターテイメントと思っているので、頷くところが多くありました。
とはいえ僕も感情に任せて怒っちゃうことはあります。
15といえば、DLCでifの未来を出した挙句、小説でハッピーエンドを演出されたときには、
あのエンディングを前向きに捉えようとした自分の努力を返せ!客商売とはいえ、周囲の評価におもねすぎだろ!とか思っちゃいました。
横道に逸れてしまいましたが、素敵な日記を読めて嬉しかったです。ありがとうございました。
Eva Abyssinianさん
コメントありがとうございます!
Evaさんの「受け手側のリテラシー」と言う言葉を見て、別の考えが浮かんできました。
ゲームというエンタメが昔よりも社会に溶け込んだ結果(それでもまだ偏見がありますが)、昔であればゲームに接することがなかった層の人たちもゲームを楽しむようになっていると思います。
その一方で、昔であればゲームを遊んでいた人たちが持っていた「共通の認識」(箪笥は調べるもの・壺は壊すものetc)というものがプレイヤー全体に行渡らなくなってきているのかもしれません。
そうやって「全体のリテラシーの幅」が広がったことも、今回の様な議論の一端になっているのではないかな?なんてことを思いました。
だとすると、今の開発者たちはすごく大変だなー、なんていらん心配をしてみるw
私も15の第一弾DLCの三本を遊んで
「なんでそれを本編に入れないんだよおおおおお」
って絶望して獣になった類の人間ですw
その後、そんな展開になっていたことは知りませんでしたが、お気持ちお察ししますw
こちらこそ、素晴らしいご意見をありがとうございました!
サブキャラを育てていて「寒夜のこと」を再度プレイしたんですが当然まったく覚えていなくて1回目は失敗しました。
検索してみた所この日記にたどり着きました。
個のクエストの評判が悪かったというのを始めて知りまして、まあ色々な面でイライラするしそう思う人多いだろうなと噛みしめながら読ませていただきました。
私はFFの過去作もいくつかプレイしてるのでダークな雰囲気だったり強制イベントには大した不満は感じませんでした。
ただ1点、暁月シナリオで特に顕著になりましたが、強制的に違うジョブを操作させられる事がとてもストレスでした。
簡易操作になってますし、せっかくだから色々触って欲しいという運営の良かれと思っての事だとは思いますが、まさにストーリーに没入してる時に強制的に他のジョブに変わってスキルテキストを読まなきゃいけない事、時間制限があるので不十分な理解で進まなければいけない事などがシステムとしての欠陥を感じました。
通りすがりのポンコツでっす_(:3」∠)_
「寒夜のこと」の評価に興味があったので拝読しましたが、とても興味深かったです。
私自身は死にゲー大好き人間なので、難易度については全く気にならなかったのですが
ライト勢の方とかは、やはり難易度が高いだけで苦痛に感じてしまうものなんですね…
個人的には、メインでのひたすら追跡するだけのクエストの方が苦痛でした。
(長い上に失敗すると始めからやり直し、判定も割とシビア)
あとゼノスの体乗っ取りですが、
「体返せ、ゴルァ!」半分、「暁相手に大暴れ?ワクワク」半分で
個人的に割りと好きなシーンだったりします。
実際に悪逆非道な行為で追われる展開もアリかなーとも思いましたが
これだと多数のヒカセンから非難轟々になってたでしょうねw
以上、フロム脳なヒカセンの戯言でしたw
Gunさん
せっかくコメントいただいていたのに、気づかず返事が遅くなってしまって申し訳ありません。
なるほど「慣れない操作を強制される」そういう見方もありますね。
たしかに慣れない操作を強いるのであれば、直前にチュートリアル的な操作練習場面(物語の進行の一部として)があった方が良かったのかもしれませんね。
私には思いつかなかった視点でした。ありがとうございます!
Luminousさん
コメントありがとうございます!
私は当時、軽い気分でプレイしていたら2度ほど失敗し、「俺はこの程度問題ないけど、ネットで荒れそうだなー。大丈夫かよ?」っていらん所にヒヤヒヤしながらプレイした記憶がありますw
で、「寒夜のこと」で検索したら案の定でしたww
追跡は結構判定がシビアでしたねw私も何回か引っ掛かりましたw
肉体交換について、私は「ヒカセンの体のゼノス」と「一般兵の体のヒカセン」との一騎打ちインスタンスバトルを期待しましたw
結局ムービーだけで終わってしまって肩透かしを食らった気分でしたが、後に「自キャラを傷つけることに抵抗がある人がいるからあれが限界」という話をどこかで聞いて、そういう人たちもいるのか!と驚きと納得に至りました。
暁の賢人たちから追われるなんて、めちゃ面白そうですが…、やっぱり非難轟々でしょうねw
死にゲーに慣れてると耐久性が違う気がしますねw
という事で、皆さんこんにちは。ヤヤッタです。
ついに「暁月のフィナーレ」に関するネタバレ解禁の号令が公式から発されましたね。
私も例にもれず感想記事を書いているのですが、とあるクエストと、それに対する反応については単体で色々言いたいことがあって、ネタバレ感想の第一弾として書き上げてみました。
さて、そのクエストこそタイトルにもある
「寒夜のこと」
な訳ですが、かなり賛否両論でしたね。
というか「ネットの意見」を見る限りでは否が多数かと思います。
これを受けて、公式も緩和措置対応をすることが発表されました。
このクエスト自体に否定的な意見が多かった為、先に言っておきます
この記事に個人の価値観を否定する意図はありません。
あくまで「そういう物の見方もあるんだ」と思うきっかけになったら、「視野が広がることによって、もっと色んなゲームを認められる、楽しめる人が増えれば」というものです。
このゲームだけでなく、あらゆるエンターテイメントに対して言えることですが
「自分がクリアできないから悪」「自分の感覚・価値観にそぐわないから悪」だというのはちょっともったいない。
最終的に受け入れられなかったとしても、そういう価値観を「自分の口に含んだ」という事自体が素晴らしい事であるはずです。
自分とは異なるものがあるということを認識・体験する事で、自分の中の世界がその前と後では大きく変わる。だからこそ面白いし、価値があると私は考えています。
さて
このクエストの批判点として多く見られるのは次の2点だと思います。
・「ゼノスに体を取られるのが許せない」
・「ウザイ」「めんどくさい」「難しい」
この二つについて
①「ゼノスに体を取られるのが許せない」
気持ちはよく分かります。
私も8年間、このキャラクターを一回も幻想せず、髪型も変えず、まさにこの姿のままずっと使い続けてきました。だから自キャラに対する思い入れは、誰にも負けないくらい持っています。
ゼノスに体とられた時も「てめえ、ゼノス体返せ!」って言いましたしねw
それでも、私はこのクエスト自体が「悪」だとは思いませんでした。むしろワクワクして満面の笑みw(私は思いませんでしたが、嫌悪感を思いっきり表す人がいてもそれはその人の感覚なのできちんと正しいと思います)
②「ウザイ」「めんどくさい」「難しい」
私がいろいろ言いたいのは、こちらの意見について。
ほんとその通りですよね。私もそう思いました。
私も2回死にましたし、「ああ、これは(ちゃんと注意深くやらないと)めんどくさいやつだ」と気づいて敵の向きや配置に気を配りながら進みました。
でも
それもそのはずなんですよ。
だって
開発がプレイヤーにそう思わせるように作ってあるんですから
皆さんは面白いゲームをしているときに「このゲーム、没入感が高い」なんてこと思いませんか?
ですが、ちょっと待ってほしい。
「没入感」というのは「のめりこむ」という事であって「楽しい」という事ではないはずです。
もちろん、ほとんどの場合「のめりこむ」ほど「楽しい」という時に使われているとは思います。
だけど、確実に違う言葉です。
さて、「究極の没入感」を持つゲームとはどんなものでしょうか?
それは例えば「SAO」でありハンターハンターの「グリードアリランド」の様なものでしょう。
ゲーム内で食べれば、お腹が満たされ
ゲーム内で技能を獲得すれば、現実でもできるようになり
ゲーム内で死ねば、現実でも命を落とす
それは没入感、リアリティではなくリアルです。
さすがに、そんなことになったらたまったものではないので、もう少し現実的なものとすれば
たとえば、ダメージを受けたり失敗したときに電流が流れるとかね。
脱線
これは↑で述べた電流の簡易版。
身体への負荷をかなり少なくしつつ、刺激を与え身体からの没入感を高める仕組みですね。
没入感を高める仕組みというところでもう一つ
人間の脳というのは意外とバカで
Aという事象とBという事象が同時に起こった場合
「Bから感じ取ったこと」を「Aに対して感じ取ったこと」だと誤認する仕組みになっていますが(吊り橋効果が有名ですね)、これを有効利用しているシステムが14にあります。
それがアクティブタイムマニューバ(ボタン連打のやつ)
キーボードでプレイしている方はどうかわかりませんが、パッドでプレイしている方はこのギミックの時
「体全体を硬直させ(前のめり)、親指に全神経を集中させてひたすら連打」なんてことを無意識的にしていませんか?
「リラックスしながらボタンをポチポチ」なんて人は少ないのではないかと思います。
「体を硬直させる」というのは「体全体にかなりの力を入れる」行為です。
つまり「連打するために体を硬直させる」という行為を「ゲームそのものに対して力が入っている≒熱中している」と脳が誤認することによって没入感を高めるようになっています。
ちなみに最近実装されたコンテンツでのアクティブタイムマニューバでは
「ギミックの始めはかなり厳しめ、ゲージが少なくなってきたら緩めの判定」になっていますね。
これによって最初一気にゲージが減って「やばいっ!」って力を入れて連打させるようにできています。
こういった、没入感を高める仕組みが細かくアップグレードされているのは感心しますね。
そう、没入感を上げるものはなにも楽しい事ばかりではないんですよ。
映画監督であるロマン・ポランスキーは、配役を決める要素としてこんな趣旨の事を言っています。
「性格が悪そうな役には性格が悪そうな俳優を、気難しそうな役には気難しそうな俳優を当てる」
多くの人が好む外見の人よりも、役に合った人選をするという事です。
映画というエンタメは「見る」と「聞く」という感覚へ大きく依存していると思います。
つまりポランスキーのそれは、映画というエンターテイメントにおいて、見る者を作品に引き込むための一つの工夫です。
もちろん、登場人物は全員容姿端麗な人ばかりっていうのもアリだとは思いますし、実際そういう作品もありますが、少なくとも作品性に期待する人間にとっては
「ああ、『そういう層』をターゲットにした作品ね…」
ってなるじゃないですか。
ゲームに話を戻して
さて、ではゲームはどうなのか?
映画は「見る」「聞く」に重きが置かれていましたが、ゲームはそこに「自分で操作する・体験する」という要素が入ってくる。
例えば、キャラの造形については「頭がよさそうに」「変人そうに」とか、そういう意図も持ってキャラクリが行われていると思います。
音楽も「ここは楽しい雰囲気だから楽しそうな曲」「悲しい場面だから悲しく聞こえる曲」とかね。
じゃあ、操作する・体験するというという点においてどうなのか?
「辛い場面であれば、辛い操作」を「白熱の場面であれば、手に力が入るような操作」をプレイヤーに求める
そういうのも没入感を高める一つの表現方法だと思いませんか?
脱線
FFの生みの親である坂口さんがその昔
「映画的なおもしろさは本物の映画には絶対に勝てません」
という発言をしたそうです。
その後、FFは「映画とゲームの融合」へと進んでいきました。
完全に私の推測なのですが、当時のテクノロジー(ファミコンやスーパーファミコン)では映画と同じストーリーを作ったとしても「俳優の演技」と「ドット絵の表現」に開きがありすぎて、そこの面白さで映画に勝負しても勝てないという意図だったのではないかと想像します。
つまり、クリエイター側から見たときに、映画はゲームよりも進んだ表現作品であったのです。
しかし現在、テクノロジーの進歩によってCGで描いたキャラクターに、現実の俳優とほぼ同等の演技をさせることが可能となっています。例えば「眉毛の動きだけで合図を出す」とか「口角の動きだけで感情を表す」とかね。
アンチャーテッドなんかは「プレイする映画」なんて言われていますしね。
そして、本筋の中で触れた通りゲームは「自分で操作する・体験する」という映画には持ちえない特性を持っています。
「見る」「聞く」が同等のレベルになって、映画には持ちえない特性を持つ。
つまり今日、ゲームはエンターテイメントにおいて映画を追い越したのではないかと、そんなことを思いました。
とは言え、映画とゲームは同一の尺度で語るべきではないとも思います。
例えば、2~3時間程度で話をまとめ切らないといけない映画と、イベントシーンのみで十時間以上になるようなゲームを比べたとき、話をまとめるという点(クリエイターの面)においては映画の方が高い技術力が必要になるでしょう。また、遊ぶ・見る側にかかる時間的負荷は圧倒的に映画の方が軽くて済む。
だから、どちらもそれぞれの尺度で楽しんでいくのが正解なんだろうな、という脱線でした。
だから私はこのクエストが「難しいかどうか」や「不快かどうか」というところで判定はするべきではないと思っています。
考えるべきは「開発が何を想定して作ったものなのか」
おそらく、吉Pはユーザーが「このクエストがとても不快です!」って声を荒げているとしたら、それは想定の範囲内だと思います。(先日の神木君の放送で言っていた通り、確かに反省も色々と出ているとは思いますが)
だからこそ、このクエストの緩和措置をとる際に
「難易度ノーマルについては変更を加えなかった」
プレイヤーがこう思う事、批判が出ることまである程度は織り込み済み。
むしろ、そう思ってほしいという気持ちも少なからずあるように思います。
だってそうでしょう?
自分の大切なキャラがゼノスに乗っ取られたら、ゼノスに怒りを向けるでしょう?
自分のキャラに愛着がある人ほどそう思いますよね。
ゼノスは「俺に怒りを向けろ」って言ってるんですよ?
すごい没入感じゃないですか。
本気でゼノスに起こっているそこのあなた、すごいですよ!
あなた自分のキャラクターになりきってますよ!
あなたこそ、真に「エオルゼアの英雄」です!(煽りとかでなく、本当に)
魂をどこぞの一兵卒に移されたら、うまく動けない上にまともに戦えないじゃないですか。
仲間の元へ駆けつけるだけだって、普段の何倍も大変です。
爆発に巻き込まれて死の間際まで追い込まれ、意識を保つために必死にボタンを連打し
這いずってまで進んでいくんです。
このクエストが大変なのって当たり前じゃないですか?普段と同じようにササっと雑魚を蹴散らせるはずがないでしょう?
プレイヤー自身が本当に不快に感じ、大変な思いをすればするほど
ゲームの中に、「光の戦士」の現状に入り込むんですよ
本来の意味の「没入感」ってのはそういう物です。
決して都合がいい、楽しいだけが「没入感」ではない。
だから今回の問題は
「このクエストは難しく作ってあるぞ」という開発の意図がプレイヤー側に伝わっていない、認識の問題だと考えます(ただし、開発側から「ここは難しいです」なんて注釈がつくのは、めちゃくちゃ無粋だと思いますが)
とは言え、難しいという事実は間違いないし、めんどくさいのも間違いない。
だから、このクエストが嫌だという人がいるのも頷けます。その人たちのことを下手くそとか、そんなことを言うつもりはありません。
ただ、開発のそういう明らかな意図があることに「気付かず」批判している人の中で、意図に「気付く」ことでこのクエストの評価を見直す人が一握りでもいたなら、14や他のゲームをより楽しんでくれる人が多くなるのではないかという思いでこの記事を書いてみた次第です。
意図に「気付いた」うえでやっぱりクソクエだという意見であるならば、「エンターテイメントはいつでも、どこでも全て楽しく感じるものでなければクソだ」という意見であるならば、それはあなたのちゃんとした意見であって正しいものだと思います。それを否定するつもりは私にはありません。
ただ、一つ言っておくと
あなたがもし「楽しくないとクソ」だという意見だとすれば、この先のFF14の冒険は、あなたにとって辛いものになるかもしれない。
3.Xのころ、オルシュファンの死亡に対する質問に対し吉Pは
「14の登場人物にはそれぞれの『人生』がちゃんとあり、その一部をゲームの中で切り取っているに過ぎない」
という旨の発言をしました。
きっとこれからも吉Pは光の戦士の歩む道に苦難を降らせ続けるでしょう。
人生は辛い事も苦しい事も多いから。
過去にだって「極タイタン」で多くの人が引退しました、「オルシュファンの死」で多くの人が引退しました。
そういうゲームなんです。
普段はスマホゲーとか、どうぶつの森みたいな「ゲームの中に悪意や敵意がほとんどないゲーム」を主に遊んでいる人もいるかもしれません。みんなと和気藹々という「毒のないゲーム」
残念ながら14はそういう「物語」ではないんです(そういうコンテンツはありますが)
「吉Pや開発の最大火力の物語」で私たちの価値観を殴りつけてきます。
感動することも、憤ることもあるでしょう。
殴られた結果、私たちの価値観が変わるかもしれませんし、拒絶することもあるかもしれません。
そういうゲームなんです。
でも、だからこそ面白いんだと思います。
漆黒の評判の良さを聞きつけて遊び始めた人や、友達に「楽しい」と誘われて遊び始めた人もいるかもしれません。
でも、世間の評判の良さは必ずしもあなたの求めた物ではないですし、友達の「楽しい」は必ずしもはあなたの求めた「楽しさ」ではない。
戦闘システムが単調な「ポチポチゲー」、「ゲームで予習しないといけないとか意味わからん」そういってゲームをやめた人もいました。
好き嫌いが出る、そういうゲームなんです。
「嫌ならやめろ」そんなことは言いません
できるだけ続けてほしいし、どこかで知り合ったら一緒に遊びましょう。
だから14で大変な場面に突き当たったら
「ああ、14ってそういうゲームだったな」
そんな風にちょっとだけ思い返してほしい。
そして、できれば周りのフレンドと話してみてください。
共感してくれる人もいるでしょうし、解決策を教えてくれる人もきっといるでしょう。
そうすればきっと大変な思いが、最終的にとてもいい思い出になる。
レイドだってそうでしょう?
何回も死んで苦労すればするほど、クリアしたときに喜びが大きいし記憶に残る思い出になる。
日々のルーレットだってそうでしょう?
「よろしく」「おつかれ」しか言わなかった消化ルレで、記憶に残っている時ありますか?
全滅して「ごめん」「どんまい、あそこはこうしたほうがいいよ」そういう事があった時の方が、後から楽しかったなと思い返すことがあるじゃないですか。そこからフレンドになったりって事もあるかもしれません。
まあ、そこまでは願いすぎとしても
「自分な好きなものが、自分の思った通りのものではない」
ということは頭の片隅に置いておくといいのではないかと思います。
そんなわけでゲームを楽しむ・没入するという事について、考えた事をざざっと書きなぐってみました。
もう少し余談を最後に残して、ひとまずこの記事を終えたいと思います。
「私もそう思う」って人も、「色々考えたけど、やっぱり私とは違う意見だ」って人も、思うところがあれば是非コメント残していってください。記事の拡散等も歓迎です。
何も考えず「こいつテンパードだ」ってのだけは勘弁してください。
余談
あーだこーだと書いてきましたが、どうしてこんなことを書こうかと思ったと言えば
全く同じことが以前にあったから
それが何だったのか
FF15、悪名高き第13章
はい、名前を出しただけで
「うっ、頭が・・・」
ってなる人がいそうですねw
ほんとにめんどくさかったですよね、苦しかったですよね。
私も「もうほんとに勘弁してくれ」って思いましたよww
でも
わたしはプレイしながら、同時にこうも思いました
「これをつくったクリエイター達はなかなか大したものだな」
なぜならば、あの場面
今まで常にそばにいてくれた仲間たちが皆いなくなり、普段してきた戦い方ができなくなる場面であるから
ノクトの人生で初めてともいえる、独りぼっちで不安や恐怖でいっぱい、そういう場面です。
それを、ゲームを遊んでいるプレイヤーに負の感情として疑似的に体験させることで、より深く物語に没入させようという試みが感じられたから。(それにしても長すぎだし、調整不足だったと思いますが、そういう試みは間違いなくあったと私は感じました。)
ただまあ、件の13章はそうでありながら、皇帝や偽サンクレッドのお兄ちゃんの末路、帝国そのものの結末へ至った過程が吹っ飛ばされて「大雑把に『察しはつく』けど、結局何だったんだ」のままで終わってしまっていて、お話の面で没入感を奪い去るようになってしまっていたわけですが…。
おそらくDLCで補完するつもりだったんでしょうけど、本編で語るべきところを切り取って、穴あきのメインを出しておいて、切り取った部分をDLCって、それはさすがに感心しない。
まあ、文句がつくのも当然。
とはいえ、私自身はFF15を間違いなく良ゲーであったと評価しています。傑作ではないし、ツッコミどころも間違いなく多いですが、クソゲーで片付けていいゲームではないし、特に中盤のオープンワールド部分はちゃんと楽しめるものになっていたと思います。それをFFという舞台で挑戦した価値もあった。映像美しさや、召喚獣と戦う際の迫力は最新の技術を駆使したFFのナンバリングと言うにふさわしいものだったと思います。
当時も今もですが
「気に食わない部分が少しでもあれば、とにかくクソゲー」
みたいな意見がネットに多く見られている気がして(もちろんそう言っているのは多くのプレイヤーの中の一握りだとは理解していますが)、評価すべき部分と批判すべき部分を区別してみないと、ゲームやもっと広くエンターテイメント全体を見まわしたときに、なんかすごく堅苦しくなってしまう気がして危うさを感じる次第です。
そんなことがFF15につづいてこのFF14でも見られたので、おっさんがちょっと一人語りをしてみたくなったという日記でしたw
更に余談
難しい事は「悪」なのかという事について
ここでは「昔の人はえらかった」みたいなことではなくて、なぜ現状がそうなのかを考えてみたいと思います。
ゲームが難しくて進めないという事は昔からありました。むしろ昔の方がとんでもない作品が多かったと思います。(修正パッチなんてものはなく、発売したらそれまででしたから)
でも、昔は今よりも「難しい物は難しい物」として楽しんでいた気がする。
たとえば神龍を例にして
https://www.youtube.com/watch?v=_Wuen-4t-Uc
面白おかしく語っている部分はあるにせよ、こんなのほぼ悪意しかないじゃないですかw
個人の範囲で言えば文句はあったでしょうが、当時それが社会全体に出てはいなかったと思います。
そして、オメガや神龍の存在は、今では美談のように語られている。
かたや「寒夜のこと」や「FF15」
没入感を高める取り組みの一つとして、難易度を高くする。
これ、神龍やオメガと比べたら、こちらの方がめちゃくちゃ良心的というか、意図がある。
でも、こちらはボロクソに言われるわけじゃないですか。
この違いは何なのか?
個人的には3点あるのかなと思います。
①時間の経過によって、負の思い出が解消され、良い思い出のみが残った
②SNSの普及によって、思った事をその場で発することができる様になった
③スマホゲームが主流となった、ゲームを取り巻く昨今の現状の変化
追記:LSの方の意見で「ああ、それもあるな」と思ったものがあったので追記
④本来の自分の意見が、他の人の意見を目にすることで引っ張られた。
例えば「大変だった。」という自分の意見が、「クソだ!」という意見を目にすることによって「大変だった。だからクソだ!」と引っ張られるということ。
そして、それが②とセットになる。昔であれば、自分の意見を世間に出すためには、手紙等に文句を書いて開発や雑誌に送らなければいけなかった。ブレーキになっていた、そういう手間やお金が外れた。その弊害。
追記おわり
①②についてはそのまま、③についてはスマホゲーというものが「全般的に」不自由さを可能な限り排除したものであること。もっと言えば不自由さを金銭に集約したものであることですね。移動・行動、大概のものがワンタッチですむ。それが、主流になっている弊害。
最初に言った通り、今の人は我慢ができなくて、昔の人はえらいみたいなことではない。
今はそういう環境だという事。そして人間が生活しているのが今の環境であるという事。
たとえば、私は「風脈」というコンテンツが大好きです。
風景を見ながらマップを歩くという行為が、新たな冒険の一つとして心地よい。
一つ一つ風の流れをつかんでいく。そして、風の流れを掴みきった結果として空を飛べるようになる。
飛んだ時、空からマップを見たときの爽快感。
めんどくささ、不自由さを含めてとても楽しい。
ですが、ひとたび風脈をあけ切ってしまうと、「風脈」が好きと言っている私ですらマップを歩くという行為ができなくなります。
人間ってのは「便利さ」「簡単」というものに一度触れてしまうとなかなか戻れない。
利便性・簡便さの極みともいえるスマホゲーによって、難しい・めんどくさいゲームに耐えられないように社会が変わってきているのかもな、なんてことを感じてしみじみとしたというお話でしたw(スマホゲーが悪いという事ではなく、CS・PCゲームとの相性が悪いということ)
追記:続きっぽいものを書きました。
【評論】汝、永遠の『遊び上手』たれ
https://jp.finalfantasyxiv.com/lodestone/character/2053456/blog/5062911/