Personnage

Personnage

  • 4

猫の居る家

Public


『猫の居る家』


わたしの家には猫が居る。だが猫を飼っているわけではない。我が家は猫に支配されているのだ。もしかしたらわたし自身も支配されているのかもしれない。

いつからだろう。わたしの家に猫が居るようになったのは。ずっと前から居るような気もする。生まれたときには居なかったかもしれない。わたしの周りに猫がうろつきだしたのは高校生の頃からだったろうか。そのときはまだ家の中には猫は居なかった気がする。しかし、わたしが気づかないだけで家の中にはもう猫は居たかもしれない。

はっきりと猫が家に居ることを認識できるようになったのは、わたしが大人になってからだ。ある日、仕事から帰ってくると玄関に見知らぬ猫が居た。わたしは窓からでも野良猫が入ってきたのかと思い、猫の首を掴むと窓から放り投げた。わたしの部屋は四階だったが気にもしなかった。そして、わたしが窓を閉めて振り返るとそこには外に放り出したばかりの猫が居た。そのときはすばしっこい猫ぐらいにしか思わなかった。

わたしはまた猫の首を掴むと窓から外に放り投げた。今度はすぐに窓を閉める。だが振り返ると同じ猫がそこに居る。わたしはそんなことを20回繰り返した。実際はもっと回数が多かっただろう。数えたのが20回までということだ。わたしは腕が上がらなくなったところで床に座り込んで着替えることもなくそのまま眠ってしまった。きっとこれは悪い夢なんだ。朝、目覚めれば猫は居なくなっている。そう思いたかったのだ。

それから次の朝、目覚めるとわたしの周囲を猫が取り囲んでいた。その数はわたしが窓から放り投げた数と同じくらいだろうか。わたしは自分のほっぺたをつねると、これが少なくとも悪夢ではないのだろうと認識する。わたしが時計を見るともう出勤時間が迫っていることに気づく。とりあえず会社に行かねばならない。わたしは猫から逃げるように顔も洗わずに外に出る。

わたしは昨日と同じ服を身につけながら、あれが一体何なのかを考えた。そして、自分の服を匂うと獣臭いことに気づく。そこに至ってわたしはあれが夢でも幻でもなく現実なのだと思い知った。そう思うと途端にお腹が鳴った。わたしは昨日の夜から何も食べていないことを思い出し、自分が空腹なのだと自覚する。

わたしは空腹のまま午前の仕事をこなし、お昼にきつねうどんを食べながら、これがきつねだったら化かされているだけで済むんだろうにと考えた。それから午後からの仕事が楽しくて仕方がなかった。会社には猫が居ないからだ。猫が居ないだけでこんなにも心が安らぐ。こんなに仕事が終わらないでくれと思ったことがない。わたしは永遠に仕事をしていたかった。だがやはり仕事もいつかは終わってしまう。わたしはもしかしたらという僅かな希望を抱いて恐る恐る家に帰る。自分の家の玄関の前に立つと少しだけ扉を開けて中を覗く。すると床が猫で敷き詰められていた。

わたしが帰ってきたことに気づくと床一面の猫が目を見開き、こちらをじっと見つめてくる。わたしはそこで観念した。何かを諦めたのだろうが、何を諦めたのかはよく分からない。ただこの猫が家に居ることを受け入れるしかないのだと悟った。

わたしは家の中に入り、猫を除けて歩こうとするが足の踏み場はない。わたしがそろそろと歩くと、猫は踏まれても痛がる様子もなく気持ちよさそうに寝そべっている。わたしは部屋の真ん中に座ると、帰りにコンビニで買ってきたお弁当を食べながらこの状況を冷静に分析しようとする。だが考えても何をどう考えていいのかさえ分からない。ただお尻の生暖かいこの感触は、化け猫のそれではないのだろうと思った。わたしは食べ終わると仰向けになって天井を見る。まだ天井には猫がいないからだ。わたしの背中には猫がびっしりと敷き詰められている。猫が呼吸をするせいか背中が微妙に揺らされる。それが心地よくていつのまにか眠ってしまった。

それからのわたしの生活は猫中心になった。いや猫そのものだと言ったほうがいいのだろう。台所の蛇口をひねると水と一緒に猫が絞り出される。風呂場でシャワーを浴びてもシャワーヘッドから猫がウニウニと出てきて水と一緒にわたしの体を流れていく。バスタブいっぱいの猫の中にわたしはゆっくりと入る。バスタブの底では猫が機嫌よく寝ている。トイレに入って用をたして水を流すと猫も一緒に流されていく。コンビニで買ってきたカレーパンを電子レンジで温め、食べようと半分に割ったら、そこから猫が顔を出す。マグカップにコーヒーを注ぐと猫が湯気と一緒にゆらゆらと揺れている。

このようにわたしの家は猫だらけだ。最初は呆然と立ち尽くしていたわたしだったが、こんな異様な状況にも慣れてしまった。慣れというものは恐ろしいものだ。猫にお尻を見つめられてトイレで用を足すことにも気恥ずかしさがなくなってしまった。自分の適応能力には感心する。ただわたしが風邪をひいてくしゃみをしたときに猫が鼻から飛び出てきたときはさすがに驚いた。わたしの鼻腔にぎっしりと猫が詰まっているところを想像すると笑えてくるから不思議だ。わたしの頭を二つに割ったらきっと猫が出てくるんだろう。その猫は黒猫に違いない。

そして、最初は猫がどれも同じに見えたものだが、しばらくすると一匹一匹違うことに気づく。部屋の四隅に陣取る猫は他の猫よりも大きく、他の猫がその大きな猫に時折挨拶をする。四隅の大きな四匹の猫は寄ってくる猫の顔を舐めてやる。床の猫も日ごとに居る場所が変わるのだろうか、絨毯の模様が変わるように毎日変化する。

猫が好きというひとは大勢いる。きっと猫好きにとっては極楽なのかもしれない。だがわたしはそれは猫を飼っているひとが言うセリフだと思った。猫に支配されたことがないからそんなことが言えるのだ。わたしは家中に居る猫を見てはため息をついてうんざりした。ただこんな生活でもいいことがひとつだけあった。

わたしは、以前はベッドで寝ていたが、我が家が猫に支配されるようになってからは床に布団を敷いて寝ている。それは床に敷き詰められた猫が揺れるのが気持ちよかったからだ。一匹の猫が動くと他の猫も動き出す。それが波のように家中に広がる。わたしは海に浮かぶ小舟のように揺られながら眠る。この揺れのせいでぐっすり眠れるようになった。不思議と楽しい夢を見ることが多い。目覚めれば悪夢が始まるのだが。

そんな猫のいる生活にも慣れきったある日、わたしの会社の同僚が大きなミスをする。取引先を激怒させてしまった。普段から注文の多いところで、細かいことにうるさい相手だった。わたしは少しでも会社にいて仕事がしたくて、同僚をかばってわたしのミスということにした。これで家に帰らなくて済む。泊まり込んでの仕事は望むところだった。

それからわたしは猫の居ない生活を少しだけ取り戻す。ここは天国かと思った。怒らせた取引先に謝罪することも苦にならなかった。わたしの相手は人間なんだ、猫じゃないと自分に言い聞かせる。するといくら怒鳴られても嫌な気はしなかった。言葉が通じるだけでわたしには救いがあった。

そして、三日ぶりに家に帰る。相変わらず家の床は猫で敷き詰められている。ただいつも部屋の四隅にいる大きな猫のうち一匹が居なくなっていた。わたしは変だとは思ったものの、猫に支配されている我が家の状況以上に変なことがあるわけもないだろうと気にすることを止めた。

その後もわたしは会社で誰かがミスをするたびに自分のせいだと言い張った。そうすればわたしの仕事が増えて家に居る時間が少なくなる。ただ家に帰りたくない一心でわたしは他人のために働いた。わたしは自分のためにしているだけなのだが、わたしは会社ではいい人だと思われるようになった。内心、「あんたのためにやってるんじゃない」と思ったが猫の話は誰にも言えなかった。わたしは追われるように仕事をする。泊まり込みや深夜に帰宅することも多くなる。忙しさで猫のことを忘れたかったのだ。

しばらくすると仕事も一段落して久しぶりに定時前に仕事が終わった。わたしは何とか会社に残ろうとするが、同僚達はわたしを気遣い家に帰そうとする。わたしは上司からの「休むことも仕事だよ」というやさしい言葉に絶望する。わたしは暗澹たる気持ちで猫の居る家に帰ることにした。

明るいうちに家に戻るのはいつ以来だろう。部屋の中を西日が差している。太陽の光が部屋で反射してまぶしかった。猫が日に当たって気持ちよさそうにしている。わたしはいつも通りに帰りにコンビニで買ったお弁当を食べようと部屋の真ん中に座る。すると部屋の四隅に居た猫が小さくなっていることに気づいた。だがすぐに小さくなったのではく、居なくなってしまったのだと分かった。

そして、床に手を置くと手の感触が硬い。懐かしい板張りの床が見えている。床一面を敷き詰めていた猫の数が減っていた。わたしは改めて部屋中を見渡す。明らかに猫の数が少ない。蛇口をひねると猫が出てこない。水が出てくるだけだ。トイレを見ても猫がいない。わたしは久しぶりに猫のいないバスタブに入りながらどうして猫が減ったのかを考えた。これといって思い当たることはなかったが、今、わたしがしていることが関係あるのだろうと推測した。とにかく今のやっていることを続けようと決意する。

それからもわたしは会社で猛烈に働いた。ひとが嫌がる仕事も自ら進んでやる。猫が減るならなんだってしようと思った。猫の居ない生活。そんな夢のようなことが起こるなら、いい人間にだって成ってやる!それから猫の数がどうなるかを観察したが、やはり猫は明らかに減っていった。わたしが他人のために働くごとに猫が減っていくようだった。最初はわたしの憶測だったがそれが確信に変わった。

さらにわたしは人のためになることをしようと思った。困っている人がいれば助け、悩んでいる人がいたら親身になって相談に乗った。そのたびに家の猫が減っていく。そうしているうちに猫はみるみる居なくなっていく。そして、最後の一匹が残った。

だがこの猫は何をしても消えない。わたしは、会社ではなくてはならない人材だと評判はすこぶるよかった。近所のひとはわたしを見ると満面の笑みで挨拶をしてくれる。友達からは命の恩人だとも言われた。親からは自慢の子供だと褒められる。これ以上、わたしが何をすればこの猫が消えてくれるのかが分からない。この目の前にいる最後の一匹。この邪魔な猫。わたしをうんざりさせる存在。この猫さえ居なくなればわたしは平穏な生活が取り戻せるのに。わたしは両腕を組むと部屋で一匹だけ残った猫を睨み付けた。

そして、わたしは、思わず最後に残った猫の首を掴むと窓を開けてしまう。そこでわたしはふと気づく。ああ、わたしは何も変わっていないのだと。わたしが掴んだ手を放すと、猫は部屋の中央でコロコロと転がっている。自分の尻尾を握ろうとするが上手く掴めない。わたしはそれをぼんやりと見ながら、居なくなったほうがいいのは、わたし自身なのかもしれないと思った。わたしが居なくなれば、最後に残ったこの猫も居なくなるのだろう。

そう考えると目の前に残った猫が不思議と愛おしくなった。わたしは腰を下ろすと猫の頭を初めて撫でる。猫が目を瞑る。猫は何も言わない。猫はわたしの膝に頭を擦りつけてくる。わたしの周りを何度も回っては体を擦り付ける。その時、あれだけ猫が居たのに猫の鳴き声を一度も聞いたことがないことに初めて気づく。すると猫が開いた窓によじ登った。猫は一度、尻尾を揺らすと後ろを振り返る。「ニャー」ひと鳴きすると外に飛び降りた。わたしが慌てて窓から外を見ると猫の姿はもうどこにもない。

それからのわたしは、忙しくもあるが平穏な生活を取り戻す。いい人を演じることにもすっかり慣れてしまった。自分の適応能力には感心する。そして、猫がこの家に居たことが今では信じられない。本当に猫が居たんだろうか。あれが現実だったのかはっきりしない。わたしは時折、猫が居たことを懐かしく思うときもあるが、猫を飼う気にはならない。猫を飼う人間の気がしれない。猫好きの考えていることが未だに理解できない。わたしとは違う種類の人間なんだろうと思う。猫好きの人間とだけは関わらないようにしているし、街で野良猫を見ても近寄らないようにしている。ただわたしの部屋の窓はいつも少しだけ開いている。床に敷いた布団が揺れるような気がするからだ。


おしまい

Commentaires (4)

Natsu Bellpepper

Asura [Mana]

猫の風呂に入ったり、猫の上で寝たときの感触をひたすら想像してしまいました…。
さぞ気持ちがいいでしょうねぇ。
シャワーのシーンも最高です。
あぁ猫づくし…。
あ、すみません。

Kuro Zu

Asura [Mana]

Natsu Bellpepperさん、おはようございます!
猫好きなんですね!
喜んでもらえたようで嬉しいかぎりです。

----

----

Ce personnage a été effacé.

ここまでの猫愛小説はないですね
乾いた文章もユニークで楽しく読みました。

Kuro Zu

Asura [Mana]

Mimi Molckyさん、こんにちは!
何だか照れくさいですが、楽しんでもらえたのならわたしも嬉しいです!
Écrire un commentaire

Mur de la communauté

Activité récente

Il est possible de filtrer les informations afin d'en réduire le nombre affiché.
* Les annonces concernant les classements ne peuvent pas être filtrées par Monde.
* Les annonces de création d'équipe JcJ ne peuvent pas être filtrées par langue.
* Les annonces de création de compagnies libres ne peuvent pas être filtrées par langue.

Filtrer
Monde d'origine / Centre de traitement de données
Langue
Articles