さて皆は香魚の塩焼きをご存じだろうか。
香魚に塩を振って串焼く至極シンプルな料理。そのシンプルさ故に手堅く、これ旨いやつだと誰しも容易に想像できる逸品だ。香魚と北洋岩塩、どちらもシャーレアン好みの食材だ。
なんだ旨い飯もあるじゃないかシャーレアン。
こういうのでいいんだよ。
などと最初は安直に思っていたのだが、相棒にこのことを話したら何だか違う答えに行き着いた。真偽はまた別として、備忘のためここに記す。
そも香魚の塩焼きとは、香魚に串を打ち、北洋食塩で塩焼きにしたシンプルな料理だ。積もる話を広げる前に、まず第一にこれを言っておかねばなるまい。この料理が不味い訳がない。絶対に旨い。
さてこの香魚の塩焼き、材料はたったの二つである。香魚と北洋食塩だ。ここでふと興味深いことに気が付く。実はこの食材は産地が大きく異なっている。香魚は低地ドラヴァニア、イディルシャイア近くを流れるサリャク河に生息する。一方で北洋食塩は、オールド・シャーレアン配下のラヴィリンソスにてその岩塩が採れる。この産地の異なる2つの食材が奇跡的に会合を果たし、この美味なる料理が生まれている。
ではこの料理が生まれた地は何処なのか。その答えは二つに一つ、即ちオールド・シャーレアンかイディルシャイアに違いあるまい。
結論から言うとイディルシャイアが発祥だと私は考えた。シャーレアン人がイディルシャイアに植民都市を築く折、本島から調味料を持参したと考えれば、それほどおかしな話ではなかろう。香魚を食すためにわざわざイディルシャイアから本島へ魚を取り寄せるとはやや考え難く思った。
さて次なる問いだ。誰がこの料理を生み出したのか。
香魚の魚類図鑑には「シャーレアン人が好んで食していた」とある。ほほぉそれならシャーレアン人か。私はてっきり彼らが生み出した料理だと思い込んでしまっていた。いや待て、光の速さで早計するな。好んで食していたことと、料理を生み出すことは独立した別の事象だろうに。当時の植民都市イディルシャイアは学を求める者に門戸を開き、実に多種多様な人種で栄えたらしい。それを踏まえれば、香魚をもともと食していた地元民らなどが、シャーレアン人の持参した北洋食塩を用いて、塩焼きにして食するという方が、それらしくあり得べき運びではなかろうか。
それに何と言っても、香魚の塩焼きはすこぶる旨いのだ。冒頭に述べた主観極まり無い主張を、自らの論拠することにはこの際目を背けて頂きたいが、要はこんな旨いものをシャーレアン人が果たして作るだろうか。香魚の塩焼きが栄養学的に極めて優れているならその説も頷けるが、賢人パンに勝る完全食はそう易々と成し得まい。仮に其れであればシャーレアン人は香魚の塩焼きを主食とすべきだ。
以上より導き出された仮説は、「香魚の塩焼きはイディルシャイアで生まれ、その生みの親はシャーレアン人ではない」という結論だ。その過程にはシャーレアン人に旨い飯は作れまいというやや差別的発想があったが、それは単なる冗句であるからどうか水に流していただきたい。あそうだ、サリャクの水にでも。
Mine Chrysanthe