†
「意外だな」
村の外れ、鋭い崖から山々を見渡せる草原で、レティシアは姉に言った。
「なにが?」
立ち止まったレティシアから少し離れてから振り向き、ジュヌヴィエーヴが小首を傾げる。
「直接戦う気が無いのかと思ってたよ」
ずっとダヴィドの後ろにいる姉は、いわば象徴的な役割を担っているのだと思っていた。村でそうであったように、『詩竜の巫女』はかしずかれるのが当然、と姉が思っているのだろうと決めつけていた。
ふ、とジュヌヴィエーヴが溜息を吐いた。呆れた顔だ。
「貴方もあの蒼天騎士も、わたしが戦えないと思っているようで遺憾だわ。ダヴィドがわたしを護ろうとするのは、わたしを大事に想ってくれているから。愛ゆえよ」
黒衣の魔女から愛などと言う単語が出てきたので、レティシアは目を丸くした。
構わずジュヌヴィエーヴは語る。
「もしわたしが、正真正銘彼に護られるだけの存在でしかないのならば――自死を選ぶわ。そんな情けない存在に価値など皆無。この星の頂点へ駆け上ろうという天上種の長は、誰よりも強くあらねばならない」
決然と言い放つジュヌヴィエーヴ。
けれど。
レティシアは、今の言葉で決意をした。
「『情けない存在に価値など無用』、か。姉さま――いや、詩竜の巫女ジュヌヴィエーヴ。あんたは同じことを、たぶん誰にでもいう。そして、自分を基準にして、劣るもの、無様と感じたものは容赦なく断罪するだろう」
「そうね。ええ、そうするつもりよ?」
「……決まりだ、ジュヌヴィエーヴ。お前はあたしの敵だ」
切っ先を突き付けるレティシア。それを冷ややかに見つめ、ゆっくりと、噛んで含めるように黒衣の巫女は告げた。
「言葉遣いに気を付けなさいね、暗黒騎士レティシア。――“敵”とは、対等以上になり得る相手に対して使う言葉よ」
瞳が赤く輝く。その身から、じわり、と黒いエーテルが滲み出てきた。強烈な、未だかつて感じたことのない圧力をレティシアは感じた。
恐怖。怯え。郷愁。後悔。それらが己の裡に湧き出している。
それを冷静に見据えて、レティシアは言った。
「戦いに“絶対”はない。憶測で油断する奴から死ぬ、ってウチの師匠が言ってたぜ」
もはや笑みを浮かべず、ジュヌヴィエーヴが淡々と告げた。
「そうでしょうね。人、ならば」
にやりと笑って、レティシアが切り返した。
「そうだとも。人、ゆえにさ」
一瞬の沈黙。
風がそよぐのを感じながら、気合の叫びをあげてレティシアが斬りかかる。
†
五体の眷属とダヴィドが休みなくテオドールを攻める。
その猛攻を的確に防ぎながら、範囲攻撃を駆使して全員にダメージを与えていく。
だが。
「“歌”はジュヌヴィエーヴだけの技じゃねえのさ!」
ダヴィドが吠えた。その衝撃はテオドールを吹き飛ばし、眷属たちには再生の効果を与えた。数体の倒れる寸前だった眷属たちが、見る間に回復していく。
「――!」
厳密にはこれは“治療”ではなく“再生”で、その資源は眷属たち自身の生命力だ。結果的に眷属たちの寿命は削られているのだが、今はそれを惜しんでいる場合ではないとダヴィドは判断した。
「く……っ!」
再度勢いを増した攻撃に、テオドールは体力を削られていく。自身への治癒魔法を行使し、減った魔力を剣技と技能で回復させるため、継戦能力は高い。しかし、それでも。防ぎきれぬ傷が貯まる。魔力の消費に、回復が徐々に追いつかなくなっていく。
「ハッ! 終わりか? 終わりかぁ!」
煽りながらダヴィドがラッシュを仕掛ける。躱しきれず、盾で防ぎ続けるテオドールの体力がどんどん削られていく。
このままでは……!
必死に起死回生の策を考え続けるテオドール。
ラッシュの後、テオドールを蹴りで吹き飛ばしたダヴィドが口中に破壊の光を収束させた、そのとき。
空から飛来した矢が、ダヴィドと眷属たちに襲い掛かった。
「ああ!?」
ダヴィドが見上げる。
そこに、黒チョコボに乗った一団がいた。揃いの装束を着た者たちが、弓を構えている。
「あれは……!」
テオドールには心当たりがあった。その心当たりを裏付けるように、村の方角から黒チョコボの羽音が一斉に聞こえてきた。武装した一団が、村人を護るように展開を開始していた。
「無事ね、テオドール」
すぐ上から声がした。そして、一人の女性が――おそらく空中で黒チョコボから飛び降りたのだろう――テオドールの傍らに着地した。
「姉上!」
ゆったりとウェーヴを描く長い髪をなびかせ、エレゼン女性としても長身の美女が微笑んだ。黒く染めた戦神鋼の重鎧。背には巨大な戦斧。
テオドールの姉にして神殿騎士団コマンド、ジュリア・ダルシアクだ。
彼女に従う一団は、神殿騎士ではあったが、通常のそれとは一線を画していた。
まず、種族が違う。エレゼンだけではない――むしろエレゼンは少なく、エレゼン以外の“人”の範疇に入る種族は多少はあれどほぼ揃っていた。
次に、装備が異なる。鋼の全身鎧を着込んだ者から、ゆったりとしたローブを纏う者まで。つまりは、様々な職業の者たちが揃っていた。
これが、噂に聞く『鋼人戦隊』。
イシュガルドに住まう非エレゼン種族の者にも、国を護りたいと思う者は存在する。出自を問わずそれら有志の者を採用し、冒険者の職業と戦術を取り入れて構築された特殊戦隊。
「ジュリア様!」
鋼人戦隊の部隊員に護られたオデットがジュリアに手を振る、彼らによって、村人たちは安全な場所への移送が始まっている。
オデットの手には、ジュリアが個人的に渡したリンクパールが光っていた。これで彼女がジュリアへと村の危機を伝えたのだった。
手を上げオデットへ微笑みかけるジュリア。踏み出したダヴィドへと向ける顔へ向けるのも微笑のままだ。
「神殿騎士団か。ゾロゾロ雁首揃えやがって。まとめて消し炭にしてやるぁ!」
咆哮を上げながら、ダヴィドの身体が二回りは膨れ上がった。姿も更なる異形化を果たしている。その咆哮は眷属たちをも異形化させていた。竜に近付いた眷属たちが、次々に叫びをあげる。
「ジュリア・ダルシアク」
「あ?」
「『鋼人戦隊』総隊長、“鋼花の”ジュリア。今からお前を細切れに解体する者の名です。憶えておきなさい」
そう言って、ジュリアは背の巨大な両手斧を抜き放った。背にあったときは一枚の片刃斧だったそれは、抜き放たれると同時に機構が起動し、三枚の刃が渦を巻くように展開した。
「テオドール! 行きますよ!」
「はい!」
応えたテオドールが構え直す。斧を持ったまま器用に、そして優雅に一礼すると、ジュリアはダヴィドと眷属たちへ告げた。
「お覚悟は、よろしくて?」
それが開戦の合図だった。
†
「らぁッ!」
レティシアの鋭い斬撃が袈裟懸けに奔る。それを紙一重で見切ったジュヌヴィエーヴが左手を振るう。
ジュヌヴィエーヴの左手首から、奇妙なものが生えていた。竜の尻尾のような触手。それを彼女が鞭のように振るったのだ。高速で振られた鞭はレティシアの鎧を打ち据える。本来ならば、鞭は鋼の鎧には効果が薄いはずだ。
だが、打たれたレティシアは呻いて下がる。鞭に打撃されると、まるで鎧などないかのようにレティシア本体に衝撃が走る。その身体には確実にダメージが与えられていた。
「……く!」
歯を食いしばり、防御の技を展開しながらレティシアが剣を横に薙ぐ。
それを舞うようにジュヌヴィエーヴが後方へ下がり躱す。同時に左手が振るわれ、またも触手の鞭がレティシアを打った。
「ぐ……!」
強い。
天上種の長、と自称するだけのことはある。
完璧な見切り、続く回避を可能にする身のこなし。そして――
「らぁッ!」
横薙ぎした剣を強引に戻しながら、踏み込んで突く。会心の出来と思った一撃は、ジュヌヴィエーヴの右手に掴まれていた。
素手のはずだ。
だが、ジュヌヴィエーヴの繊手は両手剣の切っ先を掴んだままで傷もつかず、掴まれた切っ先は引いても抜けない。見かけから想像もできない剛力にレティシアが驚いた隙に、不意にジュヌヴィエーヴが右手を放した。
まずいと思ったときには、ジュヌヴィエーヴはレティシアの目の前へ達していた。
右手が、レティシアの腹に当てられている。
「――」
爆発したような衝撃が体内に発生した。
「あっ……があッ!!」
視界が真っ赤に染まる。内臓から吹き出し、口外へ溢れた血が沸騰したように熱い。
心の片隅で、棒立ちになっている今の状態が危険であると警告が発せられる。
身体は動かない。
ジュヌヴィエーヴの腕が見えぬほどに素早く、幾度も振られた。触手の鞭が都合六発、レティシアを打ち据えた。
「…………!」
浸透し、体内で炸裂する恐るべき打撃の技。外傷が無いまま、レティシアは口から大量に吐血して倒れた。
「人そのものが穢れているのよ、レティシア。騎士や聖職者だけが悪なわけはないでしょう。人だからこそ、悪を成すのよ。おぞましく、狡猾な無毛の猿」
倒れた妹を教え諭すように、静かに、そして嫌悪感を隠そうとせずにジュヌヴィエーヴが言った。
「竜は傲慢だわ。それゆえ、その奢り故に人の成長に気が付かない。足元を救われてもなお、敗因が何か気付けないでしょう。進化をやめた、愚鈍な遺物」
ふふ、と笑みを漏らして続ける。
「どちらも醜くて、この星を任せるに値しない。――レティシア」
地に伏した妹へ手を差し伸べて、ジュヌヴィエーヴが言う。
「貴方はそう感じたことはないの? 果たされぬ正義を成す――その過程で、唾棄すべき人の醜さを思い知っているのではないの?」
「……ぁ……」
その手が動いた。地に伏した体がもがく。
全身を責め苛む痛みの中で、レティシアはもう一度、それを思い描いた。
雪の降る中、差し出された手。
「……あたしを」
震える足を引き付ける。腕に力を入れる。
「あたしを生かしてくれたのは、師匠の手だ」
上半身を起こす。
「傷だらけの、陰ながら人を救う無名の男の、優しい手だ」
足に力を入れる。
「醜さなんて、いっぱい見たさ。旅をする中で、人の嫌な部分なんて腐るほど見た」
ゆっくりと、立ち上がる。
「でも」
体がふらつく。懸命に立て直す。
「でも――優しい人も、いっぱいいたんだ」
倒れたときに地に刺さったままの両手剣を掴む。
「懸命に生きて、立派でも何でもなくても。あがいて、もがいて、それでも! ……それでも優しさを忘れない人が、いっぱい、いたんだ」
息を深く吸う。長く吐く。
「あたしは、その人たちの牙だ」
呼吸が、体に火を灯す。想いが、それを燃え上がらせる。
「戦う力を持たぬ人を、陰ながら護る、人の牙」
体を炎が覆う。黒い炎。決意と覚悟と、希いをカタチにした、漆黒の炎だ。顔を上げ、真っ直ぐにジュヌヴィエーヴを見て、レティシアは叫んだ。
「それがあたしだ。それが、暗黒騎士だ!!」
炎に包まれたまま、レティシアは剣を地より抜き、上段で振りかぶった。
「――そう」
舌打ちして吐き捨てたジュヌヴィエーヴが、触手の鞭を振るう。顔を狙った一撃を防御の技――シャドウウォールで受ける。一瞬速度を減じた触手を、右手で掴み取った。
「逃がさねえ!」
叫びと共に、暗黒の波動を放つ。黒い炎は触手を伝い、ジュヌヴィエーヴの体を包み込んだ。
「――!」
炎に包まれたジュヌヴィエーヴが、触手を強引に引いた。右手は腰だめに構えられている。先の浸透攻撃の構えだ。だがその攻撃も、それからレティシアの剣を留めるほどの剛力も先刻承知だった。
引かれるまま、逆らわずにレティシアは地を蹴った。触手を放し、勢いを利用して高く跳ねあがる。
剣を掲げる。大上段に振りかぶった両手剣にすべての力を注ぎ込んだ。剣に収束した黒い炎が吹き上がる。
それを、振り下ろした。
ジュヌヴィエーヴの鞭が体を打ったが、それではもはやレティシアは止まらなかった。
剣そのものと化した暗黒騎士は、雷光の速度で刃を振り抜く。ブラッドスピラー。
黒い両手剣は、ジュヌヴィエーヴの体を縦に裂いた。
地に降り立ち、振り抜かれた刃を引く。
だが。
両断されたジュヌヴィエーヴの左腕が振るわれ、レティシアは衝撃を受けて後退する。
「なっ……!」
驚愕に目を見開いたレティシアの眼前で、黒衣の巫女はこちらを見ていた。
その身体が、一つになる。両断されたことなど無かったかのように、ジュヌヴィエーヴは優雅に微笑んでみせた。
「その程度で死ぬのなら、天上種だなどと名乗らないわ」
レティシアは息を呑む。両断されても生きている。そういえば、ジュヌヴィエーヴはオーギュストへもこう言っていた。貴方はわたしの首を落とした、と。
「……ほんとに……人じゃなくなったんだな」
呻くレティシアを見て、ジュヌヴィエーヴは満足そうに笑った。
「ええ。でも、それは貴方もそうなのよ? レティシア。もう一人の『詩竜の巫女』」
「あたしが……!?」
「できればわたしが目覚めさせてあげたかったけど。貴方には別の方法がいいみたい」
朗らかな口調でそう言うと、ジュヌヴィエーヴは歩き出す。
「別の方法……!? って、おい待て!」
慌てて追おうとするレティシアへ牽制の鞭を放つ。飛び退くレティシアをほんの一瞬だけ目を細めて見つめると、ジュヌヴィエーヴは良く通る声で己の騎士を呼んだ。
「ダヴィド! 帰るわ!」
†
巨体と化したダヴィドへ、咆哮を上げてジュリアが斧を振るう。
戦斧の斬撃速度が暴風を伴い、凄まじい威力で異形の竜人を襲った。
「ガアアアッ!」
ダヴィドが痛みに憎悪を滾らせて、巨大な鉤爪を横薙ぎにする。報復の一撃。しかしジュリアは怯まない。攻撃を受けながら、崩れることなく、さらに反撃を加えていく。
さながら獣同士の殺し合いのように、ダヴィドとジュリアは互角に撃ち合う。
「……!」
以前に見た時よりも更に強く激しくなっている姉の戦う姿に、テオドールは不覚にも呑まれた。
テオドールとてただ見ていた訳ではない。鋼人戦隊の盾役たちと共に眷属たちを引き付け、それらを殲滅したところだ。そして姉の援護に回るところで、姉の激闘を目の当たりにしてしまったのだった。
我に返ると、鋼人戦隊の者たちは次々にダヴィドへと攻撃を加えている。彼らにとっては当たり前の姿なのだろう。
テオドールも駆け出し、その戦列に加わる。戦術の基礎が冒険者のそれを手本にしているため、テオドールもすんなりと仲間に加わることが出来た。
竜騎士たちが空を裂き槍を突き立てる。格闘士が止まらぬ連続攻撃を叩き込む。吟遊詩人の戦歌が仲間を鼓舞し、幾条もの矢が軌跡を描いて突き刺さる。スカイスチール機工房発祥の機工士たちが、機工兵装と共に銃を撃ち放つ。そして、呪術士たちが一斉に火炎魔法を詠唱する。
「しゃらくせぇ!!」
ダヴィドが咆哮し、強力な広範囲攻撃を放つ。吹き飛ばされ傷つく隊員たちを、幻術士たちが癒す。
何度も攻め、様々な攻撃を凌いだ。だが、それでも――
「こんなもんか? ああ!? こんなもんかよヒトども!」
ダヴィドは倒れない。数度目かの変異によって、もはや完全な竜と化したダヴィドが吠える。ジュリアへ単体攻撃を叩き込みながら、ほぼ同時に強烈な全体攻撃を放つ。しかも数度も。
幾人もの戦隊員が戦闘不能に陥る。
「そろそろ仕舞いにするか」
四枚の巨大な翼を羽搏かせ、ダヴィドが上昇する。その身が真っ赤な魔力に包まれる。明らかな、極大攻撃の前兆。
鋼人戦隊は先の全体攻撃のダメージから、態勢を立て直し始めたばかりだ。余力が無い。
「……!」
全員が焦燥した、そのとき。
「ダヴィド! 帰るわ!」
魔法的な効果を込めているだろう。その声は戦場全体へはっきりと響いた。
「――ハッ」
一声、嘲りの笑いを発し、ダヴィドが魔力を霧散させた。
「命拾いしたなあ、お前ら」
テオドールたちが見上げる中、灰色の鱗を持つ竜は声の主のほうへ飛ぶ。ジュヌヴィエーヴを乗せると、再び上昇した。
「ジュヌヴィエーヴ……姉さま!」
叫ぶレティシアへ、ジュヌヴィエーヴが告げる。
「あなたもじきに思い知るのよレティシア。あなたが人に寄り添っても、人はあなたに寄り添わない」
「……!」
「あなたはずっと孤独。その行いは自己満足にしかならない。差し伸べる手を斬りつけられて、それでも人を護ると言い続けられる? 暗黒騎士!」
竜は遠ざかる。もはや返答も届かない。
それをじっと見つめながら、レティシアは首を振った。
「……それでも、いいんだ。それでも……あたしは」
視線を落とし、己の影を見つめる。
「人が寄り添わない、というのなら」
視界にもう一つの影が現れる。顔を上げると、テオドールが微笑んでいた。
「寄り添う者がもうここにいるじゃないか」
だから詩竜の巫女の言うことなど気にすることはない、とテオドールは続けた。
「……テオドール」
「想いは同じだよ、暗黒騎士レティシア。欲しいのは名誉じゃない。安堵した人々の笑顔、健やかな暮らし。そういうので、いいんだ。――だから、たとえ君が多くの人に疎まれることがあったとしても。私は君と肩を並べ戦うよ」
テオドールが生き残った村人のほうへ視線を向ける。オデットがジュリアに抱きしめられている。崩壊した村を見て立ち尽くす者、失われた肉親や友のために泣く者。それから、安堵して空を見上げる者。
彼らを見つめるテオドールの視線は暖かかった。きっと、すぐにでも彼らの手助けを始めるのだろう。
「……」
寄り添うと言われたとき、レティシアは誤解した。それが自意識過剰だと分かって、急にレティシアは恥ずかしくなった。
「バーカ」
「え!?」
突然罵声を浴びせられてテオドールが目を丸くする。
このばか。
やっぱりなんにもわかってない。
テオドールの胸甲へ握った手を打ち付けて、レティシアは彼の横を通り過ぎる。
「君は、これからどうする」
足を止め、空を見上げる。もう竜は見えない。
「追うさ。アイツらを放っておけない――お前は、これからどうするんだ」
「仲間の元に戻るよ。どうしても、助けたい人がいるんだ」
そう言って、テオドールは己の手を見つめる。その手で掴めなかった人がいるのだと、レティシアは直感した。
「……そっか」
それは、きっとテオドールにとって大事な人だ。
だから。
「……こっちが片付いたら、あたしもそっちを手伝ってやるよ。だから、もしそっちが先に片付いたら」
「駆け付けるよ。必ず」
握手のために差し出された手。
一瞬だけ、その手が別の手と重なった。
雪の日に差し出された、師の手と。
ちょっと泣きそうになったレティシアは、誤魔化すためにその手に思い切り自分の手を叩きつけた。手甲同士が硬い音を立ててぶつかりとても痛かった。
だから、この涙はそれだということにしておく。
抗議するテオドールを置いて、レティシアは走り出す。
「――オーギュストのおっさんのとこだろ! 先行ってるぜ!」
叫んだレティシアは、もう振り返らなかった。
黒い鎧の少女は、蒼い空の下を駆け抜ける。
もう、一人ではなかった。
(『黒と蒼』完 四章(二)『Light My Fire』へ続く)