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掃き溜め週記 130 愛と恋

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本文を読む前に読んでね。
https://jp.finalfantasyxiv.com/lodestone/character/27731871/blog/4274562/


「愛」も「恋」も、どちらも「好き」という言葉で表されるけれど、その内容は全くの別物。

「恋」は「乞い」。

こうなりたい、こうしてほしい、主体は自分。

「愛」は「合い」。

相手の気持ちに合わせて、こうしてあげたい、幸せでいて欲しい。主体は相手。

あ、ちなみにこれ、言葉の由来だとか語源だとかそういうんじゃないわよ。アタシの個人的な考え。

子供のうちは、「乞い」なのよね。

望むことは周りがしてくれて当然。

そのうち経験を積んで大人になるにつれて、「合い」も理解していくもの。

といってもそんなに難しいことじゃないのよ。

例えば目の前で転んだ人がいたら「大丈夫ですか」って声をかける、手を差し伸べる。

それに対して、「ありがとう」って言ってもらえる。

あるいはその逆の立場を経験する。そういうことの積み重ね。

本来であれば、あたりまえのこと。

でも、年齢を重ねても経験を積むことができなかった人や、

その経験から何も得ることができなかった人は「乞い」続ける。

いるでしょ、なんでも「してもらって当然」で、「してあげる」のがものすごく下手な方。

たまに「してあげる」機会があると、内容以上の評価を求めるような。

よっぽどママに甘やかされて育ったのね。

世の中には「してあげたい」方もいるから、そういう組み合わせならそれなりに幸せなのでしょうけど

それでも、ギブ&テイクのどちらかに偏ると長続きはしないものよ。

下手するとストーカー化の未来が待ってるわ。

「合い」を知っている人は「乞う」こともできるけれど

「乞い」しか知らない人は「合う(合わせる)」ことができない。

どうにか均衡がとれてるうちは良くても、ひとたび崩れると二度と元には戻れない。

なにごともバランスなのよ。

だのにそもそもの絶対数が違っていて

世の中の仕組み自体がバランスとれないようになってる。

そして残念なことに、その煽りを食うのはいつだって「できる」側。

「できる」側にいて「できない」側の尻ぬぐいをしながら過ごすのと

「できない」側にいて「できる」側に尻ぬぐいしてもらいながら過ごすのと

果たしてどちらがいいのか、そこは自分で選ぶしかないけれど。

アタシ自身は「合い」を知っている側でありたいと思っているわ。

そのかわり、そうする相手はしっかり見極めないとね。

まあ、できてるかどうかは別の話だけども。
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