先日久し振りに会った友達がオスッテになっていて、よくキャラメイクを見てみようと後ろに座ったんですが。(自分のキャラが高過ぎて、立ったままだと他の方を見辛い)
ふとカメラを戻すと、ルガ子さんの首筋から頬をオスッテ尾がシュル…シュル…って撫でてて絶対気持ち良さそうでした。動画で撮っとけば良かった…すごい絶妙な触り具合だったんですよ。
※ここから長い割にダラダラしたなかなかの無駄話が連続して再生されます。何もすることがなくなった時間や、ギャザクラの片手間などを確保の上で閲覧されることをおすすめします。
当り前といえば当り前なんですが、FF14の主軸といえばコンテンツ(ダンジョンや討伐)と装備ですね。
新しいコンテンツに行くための新しい装備を手に入れるためのコンテンツに行くための装備を手に入れる、という積層する螺旋を幹にして枝葉がある構造。(多分)
戦闘が苦手だと、この片側であるコンテンツのハードルが上がるので、螺旋階段の一段ずつを高く感じます。
テンポ良く上れずに息切れしながら、どうしても「まだ上があるのか」とか「次の一段高いな」とため息混じりに見上げる心地がありますね。
まー、そもそもコンテンツそのものだけじゃなく、周回がキライとか知らない人が苦手とか、怠惰によるところも大きいですが。
それでもコンテンツが苦手だからこそ装備が必要なので、サボりまくりのトークン集めから目を背けて、セイブ・ザ・クイーンの説明を読んだわけです。
よしだ…よしだ手前エ…
武器育成はレイド行かない人でもじっくりどうのとか!!言ってたくせによしだアアァァッ!!!
うそつき!!うらぎりもの!!
どうせ運営なんて全員ゲーマーでレイド勢ベースの視点なんだろク、
長くなりますので割愛しますが。
レイドに可能な限り行きたくない理由は、一応自分の中ではちゃんとありまして。いや行きたくないから行きたくないんですけどね。
下手なんですよ、戦闘操作が。
ゲームやるための神経系が太くないのもあります。
例えばゲーム神経が発達してる人だと、詠唱見て敵の方向見れば、どういう範囲が大体どのタイミングでどこに出るのか分かるから、どう対応するためにデバイスを握る手指が、回避に備えながら現在のスキル回しを続けるっていうのを脳内で0.5秒で処理してるのに対して、
詠唱を見て何のことだったか考えて、AoEの形を思い出せれば幸い、思い出せなければ範囲を見てからどう避けるのか、頭で判断する過程の間に、スキル回しは続けられたり止まったり。という動きに1.5秒とか2秒とかかかるわけですよ。数字は適当です。悪しからず。
レイド勢の声が聞こえてきそうです。慣れだよーってお馴染みの。
そうなんですよね。何度もシナプスを行き来させることでその動作をする神経を太くし発達させる、つまり慣れです。
練習するとか、遊びながら覚えるやつですね。やることは同じで、取り組むのか組み込むのかといったところ。
他にも色々あるんですが、要は、上手くなるため強くなるために出来ることはまだ色々あって、でも、頑張ってまでそれをやる手間や時間を惜しいと感じてしまう。
という程度の気概で、一生懸命やってる人達にのこのこ交じるのも、お互いあんま幸せになれなそうじゃない? 仲悪くなりそうじゃんか。
だってレイドってエンドコンテンツで、用意されたメインコンテンツより、もっとやりたいって人がやるものだと思ってた()ので。
でも武器欲しいなー…ということで、気がついたんですが。
レイド勢とかもうイヴァリースやってねえだろ…!
じゃーいーやノコノコ混ざってこよ。ってことで、ラバナスタ解放に出掛けました。
それで…、それで…気が付きました。
暁メンバーに親近感とか仲間意識があんまりないという話を、こちらの日記にも何度も書いたんですが。
これは完全に、レイドに行かないせいなのでは…
結構衝撃を受けましたね。別に誰のせいでもないんですが。
ストーリーってメインクエストにかかるものがメインで、サブクエストに出てくるのはサブストーリーだと勝手に思ってたので。いや、サブストーリーというものの位置付けに関する認識のズレがあったというべきか。
ああそうか、俺また108星を集めずにストーリーを進めてたのかー…って。
ア、108星を集めるっていうのは、星の名前を冠した108人の仲間を集めるゲームが昔あったんです。サブストーリーを無視してメインクエだけ進めると、30人前後の仲間が集まって、それでもクリアできます。が、108人の仲間を集めれば集めるほど、自分の拠点と仲間達の人間関係が発展したり明らかになっていく、というものでした。確かね。
何ッッッにも考えずに30人の仲間とクリアして、いっぱい仲間が出来たなーと思ってたんですが、ゲーマーの友人に、やり直して108人集めろと言われて攻略本(懐かしい!)を渡されて、ふーん?と思いながらゲームを1からやり直して。
正直に、なるほどと思いました。ゲーム製作者が意図した景色と物語がそこに現れて、ああこれをやらせたかったのかと。
ですからそれを、思い出しまして。
運営チームがプレイヤーに見せてやろうと思って作った景色と物語を観ないでいる理由が、今、あまりにも「無理しないプレイスタイル」と名付けた何かで、自分に閂をかけているだけの部分もあるかもしれないなあと。
まー正直ホントにゲームは下手だし時間がなかったり、仕事が忙しくて疲れているのも事実で、それほど腰が引けているばかりでもないとも思うんですが。
もしかしたらほんの少し、今頃になって、画面の向こうでいつも背中を向けている、あの光の戦士に報いたいのかもしれません。