Miral C'laris
Valefor [Meteor]
Vous devez vous connecter pour publier un commentaire.
Connexion
Il est possible de filtrer les informations afin d'en réduire le nombre affiché.
* Les annonces concernant les classements ne peuvent pas être filtrées par Monde.
* Les annonces de création d'équipe JcJ ne peuvent pas être filtrées par langue.
* Les annonces de création de compagnies libres ne peuvent pas être filtrées par langue.
1
Nergo Gigantes
Spriggan [Chaos]
2
Shino Yaru
Sagittarius [Chaos]
3
Saboree Catboy
Spriggan [Chaos]
どうして、こんなに心揺さぶられるのか。
それは、
フレースヴェルグのセリフで始まったのでした。
「彼方の昔、
我ら7つの子のために、星の大海を渡り、
そして、たてがみすら燃え尽きるほどの、苦難の旅の果て・・・
辿り着いた、この青き星・・・」
だったかなあ?(まちがえてたら、すみません)
7つの卵を抱えて、星の海を渡る。
卵を守って、たてがみを燃やしながら。
この、親心!!
究極だあ!!
・・・・(ノД`)・゜・。←この時点で、もう、心の中は滂沱の涙。
たてがみが燃え尽きるって、
どれくらいの、苦難の旅やねん!!
ミドガルズオルムのことを
「とても愛情深い方」
って、フレースヴェルグが言ってたけど。
そんな言葉では、足りないよ。。。?
すべては、卵(※こども)のために。
子どもが安心して暮らせる、そんな場所を探して。
自分の身を顧みずに、
命をかけて、星の海を渡った。
「ここ、絶対危ないよね。死んじゃうかもしれないよね!」
という場所を潜り抜けなきゃならないことになったときも、
躊躇せずに、自分の体が燃えても構わずに、飛び込んでいった。
自分の身がどうなるかなんて厭わずに。
それは、
帝国軍との戦いの時も垣間見られました。
もしかしたら、このときには、
ミドガルズオルムにとっての「子どもたち」の定義が、拡大していたかもしれない。(※眷属とか、そこに住んでいた人たちとか?)
「子どもたちを守るため」
このときも、
自分の身を顧みず、
帝国軍の船に絡みついて、相打ち。
己の身を投げ出した。
その一方で、
子どもたちが、間違えたり、苦しんだりしたとき。
じっと、手を出さずに、見守ってた。
余計な口を挟まずに。
子どもたちが、自分たちの答えを見つけるのを、黙って見守っていた。
(※はなむうんのイメージなので、まちがってたらごめんです)
たぶん、心の中で、
「えー、なんでそっちいっちゃうかなあ!」
とか、
「もっといいやり方あるのにー」
と、やきもきしたり、手を出したくなったりしたかもしれない。(※あくまで、はなむうん的妄想)
そして、
子どもたちが傷つくのを見て、
「本当にこれでよかったのかなあ・・・」
「もっと、手助けしてあげればよかったのかなあ・・・」
とか、
後悔したり、
自分を責めたり。
そんな思いが過ぎったんじゃないかなあ。(※これも、はなむうんの妄想)
ミドガルズオルムを思うとき、
自分の親としての態度とか、
夫くんの態度などと、
重ねてみてしまうんです。
だから、
「思い入れ」が生じるんだと思う。
ミドガルズオルムの言動を振り返るとき、
東日本大震災の時の
わたしと夫と、息子のことを、
いつも、思い出します。
原発が爆発して、放射能のプルームが頭上を通り過ぎたことを知ったとき。
そのとき、外に出ていた(瓦が落ちた屋根の修理をしてた)のは夫くんだけで。
その夫くんが、涙を浮かべ震えながら
「はなさんと、さいちゃんでなくて、よかった・・・」
とつぶやいたこととか。
さいちゃんを逃がすため、飛行機のチケットを必死でとり。
親も1人だけなら同乗できるといわれたけど。
「私たちがいかなければ、子どもの席がひとつできるんだよね」
って話し合って。
その子のために、行かないことにした。
それを説明するのに、さいちゃんに
「お父さんとお母さんは、あとからいくから」(※この時点で、可能性はかなり低かった)
といって。
さいちゃんは、ずっとあとになってから、この時のことを語ってくれました。
飛行場で、飛行機に乗るのは子どもたちばかりで、
親たちは、見送りのデッキにいたこと。
それを見ながら、
「ああ、もう、お父さんとお母さんには会えないかもしれないな」
と思ったと。
さいちゃんの飛行機が飛び立ったあと。
夫くんとふたりで、息子を安全なところに送り出すことができ、ほっとしてうれし涙をひそかに流したこと。
それと同時に、
「子どもを逃がしたいけど、逃がす先がない。飛行機のチケットもとれない。」
と涙を流す方たちのことを思い、申し訳ない気持ちになったこと。
ミドガルズオルムのエピソードを聞いたり、思い返したり、
言動をみるたびに、
こうしたことを、思い出すのです。
そのため、
ミドガルズオルムは、
ダントツの、「思い入れがある」キャラです。(*’ω’*)
つぎに私が「思い入れがある」のは、エメトセルク。
この人も、
ミドガルズオルムと、
表現は違うけど。
とても親心の深い人だなあって。
情の深い人だなあって。
そう感じます。(※実際、ヒュトロダエウスが「情深い」っていってたよね)
厭だ厭だといいながら、やる。
「嫌」でなくて、「厭」というのが、ツボだとおもう。
ネットで調べてみたら、「嫌」と「厭」には違いがあるらしい。
「嫌」とは、「嫌悪」というくらい、なぜ嫌なのか、という理由がないけど、「もう、大っ嫌い」で、「見たくもない」、「そばにもよらないでほしい」という、拒否感満載(?)のニュアンスがある模様。
一方で「厭」とは、「あきれ果てる、うっとうしい」「自分から距離を取りたい」という意味合いがあるようです。
「もー、めんどくさいなあ」
「あー、やだやだ、もう、うんざり。全部投げ出したいわー」
「ああ、もう!いい加減にしてよねっ!!」
とか言いながら、とっちらかした子どものおもちゃを片づけたり、脱ぎ散らかした靴や服を拾いながらあるくママのイメージでしょうか。
エメトセルクは「厭だ」というほうを使ってます。
「あきれ果てる」「うんざりしている」「うっとうしい」って、思ってて、
「距離を取りたい」って思ってるわけです。
でも、そういいながらも、距離をとろうという行動を起こしていない。
つまり、
「この状況にはうんざりしてるんだけど、見放してはいない」
結局、構っちゃうんです・・・
ママの大半が、子どものオイタを叱るけど見放さないように。
(※いきなり、エメトセルク@ママ認定しちゃった・・・ファンの方、ごめんです・・・滝汗)
たぶん、私、エメトセルクに子育ての一番大変な時の自分を重ねてしまってるのかもしれない。
だから、
最後の戦いのあと、
エメトセルクが薄く微笑んだとき。
子育てがひと段落ついた、親心みたいなのをみたきがしたんです。
ヒカセンの中に駄々洩れになってたまってた「光」を、
エメトセルクが、持って行ってくれたんじゃないかなあって。
「しょうがないなあ。そんなにいうなら、やってみろよ。見ていてあげるから」
「しょうがないなあ。こんなにオイタ(※光を集める)しちゃって。もー、片づけてあげる(※あちらの世界?へ持っていく)よ。」
みたいな。
次は、+α認定しちゃった、ティアマット。
ティアマットは、ただ、いとしいいとしい「番い(つがい)」を取り戻したかった。
その気持ちを、
アシエンに利用された。
そして、
永遠に、「番い」を失ってしまった。
そんな自分の行いを悔いて悔いて、
アジス・ラーの鎖につながれることを望んだ。
それは、自分への戒めのため。
私も、
息子が幼いころに重い病気になって、
夫と息子に迷惑をかけたことが、
今でも、
心の中で鎖となって、私を縛っています。
償いたいけど、やり方がわからない。いつまでたっても、戒めの鎖は、なくならない。
だから。
ティアマットが己の戒めとして鎖につながれている姿を見ると、
心が揺り動かされるんだと思います。